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自己制御

さんざん書いてきてることだけど、自分を上手くコントロールできないので、またまた考えます。。

あれをやろうこれをやろう、あれをやらなきゃこれもやらなきゃ、あれをしたいこれもしたいと思って週末に挑んでも当初思っていたことは何もできない。この前もそんなことを書いて、対策を考えたのにもう崩れ去っている。

なんて自分は意志が弱いんだろうと思ったけど、今回気づいたのは意志が弱いとかじゃなくて意志を失うのが問題なんだろうと気づいた。

今まではいわば行動を決めるという方法でこの課題を解決しようとしてきた。しかし、メモを取らなきゃと思いつつググっていたり、あとでやるべきことをその場で解決しようとしたり、自分が取るべき行動ととっている行動がいつのまにか乖離している。

そもそも行動を決めるというのはいわば、自分をプログラムするということである。ただプログラムは必ずと言っていいほどエラーを出す。完璧なプログラムなんて小規模な計算か単純な処理についてしか現実的にはできない。それが、行動を決めるという方法の破綻につながっている。

たとえばだが、確かにプログラム自体は問題なく動かせたとして、実際に動かしてみるとあまりにも処理が重くてパソコンが発熱しだし無理がたたり結局求めるように動いてくれないということがある。そこで人間が介入してプログラムを止めなければならないのだが、止めるというメタ的なことはプログラムに組み込まれていないわけである。そこでプログラムにないことを実行しなければならなくなる。つまり決まりを破らなければならないという事案が自発的に発生してしまうのである。

今回の対策が成功できてない原因に当てはめると。僕は行動を決めると、縛られていることを意識してしまう。僕は縛られていると感じることに耐える気力がない性分なのでだんだんと熱をもち、失策してしまったのだと思われる。

もちろんメタ的視点をプログラムに組み込むことで解決するのではと言えるが。。。あらかじめ設定したメタ的視点が十分である保証はない。人間がいきなり完璧なものを生み出すことは難しい。

ぷらす。プログラムが巨大化してくるとだんだんと可読性が落ちてくる。これはしょうがないことだ。コンピュータが実行する分には可読性などなくても大丈夫だ。だが、今プログラムを実行するのは自分自身であり、まさしく人間なわけである。つまりここにも行動を決めるという方法が根本的に陥る矛盾がある。

そこで大事になってくるのは、整理する、もっと端的に、「捨てる」ということだ。人間はものを使うことで、発展してきたし、モノをたくさん持つことで力を維持し、生身以上の力を手に入れることができた。その考えをものでなく、考え、アイデアに適応しようとしているのが現代の情報社会である。しかし、よくよく考えてみれば一人の人間が保持できる情報は限りがあり、なおかつ管理できる情報なんてわずかである。。つまり単純に保持するという構図は適応できない。そこで代替となる考えはアクセス権である。所有権でなく、アクセス権があれば、所有権と同じことを負担を軽くして行うことができる。

じゃあどうやってすてるのか

それが問題となるわけだが、今僕が思うのは、常に全力を出すということだ。

今までは自分がやりたいことができないのは、うまく計画を立てられていないためであり、自分の怠惰な気持ちを抑え込む上手い方法こそがこの問題を解決できるのだと思っていた。しかし実際に計画を立ててみると、計画に従うというのは、自分を制御するということで、制御することに力を使ってしまう。無駄に悩んでしまうのである。また計画に従うことで自分がやりたいことを行動に移せず、意志を忘れてしまう。

怠惰なのは、性根が怠惰なのでなく、無駄に悩むから結果として行動が滞る。

計画を立て、選択肢を狭めることで自分を制御するのでなく、出し惜しみなく常に全力を出すことで、相対的に選択肢が大きくなり、狭まる。全力を出し切る結果、自分の道を見続けることができる。意志を失わない。

僕はあまりにも忘れっぽくて、3歩歩くと1つの事以外すべてを忘れてしまうようである。それをこの短い人生の中でもものすごく実感している。沢山の対策を一気に行っても右から左へ受け流してしまう。一つずつ身に着けていくしかない。とにかくできることは全部やるという気概だけは今すぐ身に着けるべきだと思った。

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