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無教養

「あなたは、あなたが知らないことを知っていますか?」

私は無教養です。と恥じること無く言える人はいるのでしょうか。現在自分が悩んでいることの一つが、この教養です。自分が無教養であることを強く肯定できないので、何か常に教養を強いられていると感じてるような気がしています。同じような気持ちを持つ人はいるのでしょうか?そこで、今回は教養について考えます。

教養とは何かという問いが成り立ってしまうほど、教養についての意見や考えはさまざまです。それは教養が実利から少し離れた2次的なものであるということと、教養とみなされる分野の広さに由来していると思います。人生にわたって触れることの多い言葉ですが、こういった広い意味を持った言葉は曖昧茫漠ゆえに私たちの思考を惑わせます。そのようなときは、自分で考えて意味をつかみ取ることで、初めてその言葉を血肉とし考えの糧となるのです。

教養の意義

教養の意義は、自由権威社会性宗教自分への還元にあると思います。

知るということは領有することです。リベラルアーツというのは、知ることによって、さまざまな支配から逃れるすべ身に着けより自由になろうという考えです。知るということを力に自由を手に入れようとしています。自分に向けて教養を活用しています。また、教養というのは権威づけという側面も持ちます。それは知るということが力になるのでそれを相手を威圧するのに利用するのです。これは他人に向かった教養です。次に、教養を身に着けることで社会に貢献できるということです。周りに向けた教養です。新しい知恵を生み出すには教養を身に着けることが有用です。科学者、知識人など教養を身に着けた方々の尽力なしに今日の社会はありえなかったでしょう。次に宗教、生き方としての教養です。知らないことが多いと、逆に様々なことに惑ってしまうのが人間です。知ることで、良くも悪くも自分の生き方を惑い過ぎず決めることにつながります。礼や道徳も人を人生を知ることで積み上げられていきます。未来に向けての教養です。最後に自分の人格を形成するための手段としての教養です。英語を学んで初めて国語で学ぶ文法の意義に気付く経験などないでしょうか。物事を知るには対比するものを得ることが近道なのかもしれません。知るということに向けた教養です。

もちろん、これは明確に分かれるものではなく、複数にまたがっています。

教養とは

教養とはなにかも言わずに教養の意義を述べてきましたが、教養というのは知ることを通してなにか良い状況へいたろうというのが原義にあると思います。

良い状況を目指すものなので、教養はよいものと思われます。ですが、これが教養の悪い側面も生み出します。良いものは広めようとするのが人間です。そう、教養が強要されてしまうのです。(´・ω・`)

教養が楽に身に着けられればいいのですが、実際には教養は時間と努力を多く要求します。教養を身に着ける苦労が教養の利益を上回っていると思われたとき、その人が教養を身に着けようとはしないでしょう。僕が悩んでるのもこの葛藤かもしれません。

教養の悪い面として威圧として使われることもあります。教養の意義に、権威を入れていますが、これは教養自体のメリットではありません。このような利点は武器を持つことで得る利点と同じものです。教養も一つの手段というわけです。

また、教養に対立する考えとして反知性主義があります。教養のような浮ついた机上の空論より、実利に繋がることをやるべきだという考えです。知るを通してではなく、何か実際に価値を生み出して、よい状況にしようという考えです。目的は一緒でも手段が異なるというわけです。ただ、教養も全く否定してしまうと利点の裏返しがあります。何事も程度は大事です。

知識について

教養と知識とは切り離せませんが、教養=知識ではないです。つまり教養において知識は手段であり目的ではないということです。知識を蓄えること自体に意味はありませんから(暗記が趣味でない限り)、目的を見失わず、というか自分の気持ちを確かめながら知識と向き合うことが大事です。知識は自分や周りに働きかけて初めて意味をなします。

また、知識とは座学だけではありません。学問というのは基本的には過去のものです。学問や歴史から学べるものはほかの多くの人も学んでいるものです。自らの経験を反芻することで初めて教養は生きてきます。なんにせよ、自分の実感と好奇心なしに教養は身につかないのです。リアリティのない知識はまるでインターネットに転がってる情報です。たとえ膨大でも意味を持たせるかはその人次第です。人の役割は光を当てることにあります。

 

冒頭にて

無知の知とはソクラテスの言葉でしたか。知らないことを自覚することで成長できるのだと。ではその知らないことはどこにあるのか。止まった知識というのが学問になり礎となるのですが、動いてる知識というのもあり、これが新しい知識になりかけている知識です。また、知識には共有しやすいものとしにくいものがあります。そういう形を成してない知識とは日常のあちこちにあります。実はあなたは自分が知らないことをすでに知っていて、それを形にすることが教養なのかもしれません。

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