不安になる要因がふえた、その分余裕は削られる。
人生、誰もが大なり小なり悩みを抱えて生きているのだと思うがここ最近自分のなかで余裕を失っているような感じがある。
なんでか、という原因を確信しているわけではないが、昔は頭がすっからかんだったので悩むこともなかったんだろうとおもう(依然としてすっからかんではあるが、、、)。
最近ブログを書く暇がなくて(というよりかは心の余裕がなくて)、いろいろ自分の中で淀んでいるものがあるので今日はいろいろと吐き出したい。
余裕を失う要因はいろいろあるが思いつくだけ書き留めとこうとおもう。
ひとつは時間の焦り。
昔より時間が短い気がしてならない。頭に詰め込むだけの情報量に対する、かけていい時間が短くなっている。これは、どうしようもないとは思っている。昔がのんびりしすぎた。たった一つのものに何日も費やしても構わなかった。
なにが本質か見極めて、時間のかけ方とか、どのように対象と付き合うかを体得しなければならないのだろう。おそらく、普通の人はこれが普通にできるんだろうが…。いかんせん自分は鈍い
次は、やりたいこととその優先順位
やりたいことが昔より増えた気がする。昔はやりたいことが何かもよくわかってなかったというべきか。断捨離とかいう言葉が流行ったが、そういうことかもしれない。やりたいことを整理して、本当に心が欲することに打ち込む。それがわかれば苦労しないし、なかなか簡単に捨てされるものでもない…。
それでもうまくマネジメントして優先順位をつけるくらいはやってかないと、何も得られない気もしている。
やらなければならないことが増えた
これもだが、昔はやらなければならないことなんてなかった。やらなければならなかったのかもしれないが、適当で済ませられた。やらなければならないことが増えるということが、自分の人生を背負う、大人になるということなのだろうか?
能力のひくさ
情報処理能力とかいうのが低い。対人能力も低い。リテラシーも低い。いろいろと低い。なんていうかまさしく今までおろそかにしていた附けだろう。正直こういう能力の価値というものを認めていなかった。それが過ちだったのだろう。大切だと思わないものは何一つ身につかない。
価値を見出す、価値を認識する能力が低かったのかもしれない。
くよくよしすぎる
なんていうか、解決の方法を考えるわけでもなくただただ頭を苦しめている。いたずらに時間を消費し、心を疲弊させてる感がある。現実から目をそむけているというか、事実をありのままに受け止める心の強さがかけているのだろうか‥。
せめてその苦悩を形に残して、未来の自分に繋ぎたいとおもうのである。

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