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差別

どんより、鬱気分でこの記事を書いてます。というのも…。

差別は避けられないのではないか。少なくとも一個人としては。そういう無力感を否応なく突きつけられるからです。どんなに公平であろうとしていても差別せざるを得ない。公平ではありえないという現実がとても辛い。

ブログをコンスタントに書こうと、前回の記事で決意を新たにして、過去に書いてきた下書きの山を見返しているのですが、この「差別」というワードは自分の中でも結構思い入れのある重いテーマです。

重いテーマではありますが、重いからこそ吐き出すべきだなと感じて書き出してるところです。胃が重い…。

過去の自分が考えていたこと

下書きをタネにしてまったく新しい記事を書こうかとも思ったんですが、自分が過去考えていたことを捨てるのが惜しくなったので、ただそのまま使うとちょっと重いので、引用して今の自分がコメントしていこうかと思います。

差別はもともとは、違いのこと。違うものは違うように扱うことから、取り扱いに差をつけることを、差別すると表現するようになり、特に不当に差別することの意味で使われることが増え、差別にその意味が加わったと考えられます。

何事もまず定義から始めようという癖がどうしても抜けませんね(笑)

最初の意味で言えば、すべてのものは予め差別されているわけなので、普段「差別」として糾弾されるのは、不当かどうかを基準に決定されているといえます。

そしてなぜ、不当だ!と言う代りに差別だ!と表現するのかといえば、その不当さが、差別をなくす、つまり画一化させる、平等に扱う、違いを無視することで解決される類のものだと考えるからです。

あー、なんともコメントしにくいっ!単純で当たり前のことしか言えてないので(^_^;)

人種差別、女性差別、経済的差別、障害者差別など差別にもいろいろあり、また平等にも結果の平等、機会の平等などいろいろあるので、単純に解決できるわけではないということでしょうか。

今回差別について書こうと思った理由の一つがこれです。

いやどれだよ(笑)自分が書いた文章ですがほんと酷いです…。こんな文章を読ませてるなんて、ほんと罪悪感しかありません。

つまり不当さを解消する手段として本当に差別をなくすことが大事なのか疑問だからです。

差別についてアピールすることで人々の意識が変わっていき、ある面で生きやすい社会になっていると感じます。周りとの摩擦は少なく、川底の石ころのようにすべすべとして倫理観が行き渡っています。

これで人々の悩みを解決できたかというとそうでもないような気がします。摩擦がなくなったおかげで目立つようになっただけかもしませんが、海の底の圧力とでも言うような社会的圧力に鬱屈する人もいるのではないでしょうか。

川や海の比喩を交えているのは、読みやすくなるようにという自分のちょっとした心遣いのつもりではあったはずですが。

耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び。というような分かりやすい困難はいまや身を潜めましたが、あらゆる人からああしなさいこうしなさい、あれはしちゃだめこれもしちゃだめと押さえつけられることの多い今はうまく息継ぎができないで死に体な人は増えてる気がします。

特にデータを取っているわけではないので、最後は気がしますで締めくくっていますが、当時の自分としては共感してくれる人がいればいいやって感じで適当に書いてる気がします。

内容としては、差別がないからといって、必ずしも問題解決できてるわけじゃないんじゃない?ってことが言いたいことですね。

摩擦を生まないためには自分の表面を削って滑らかにするか、歯車のように社会とかみ合うように適応するか、人との距離をとるかです。

差別が表面化しなくても、すでに排斥されている。

圧力とは矛盾の押し付け合い。

結局、この文章で言いたいことは、なんなのか自分の考えをどうもまとめきれませんが、根本的な問題は差別ではなく、相手を押しのけるような、不寛容さから来てるんじゃないか?ということが言いたいんだったと思います。

たまには鬱になるのも悪くない?

こういう社会問題系の記事を書くのは、自分でもどうにかしたい、でも何をすればいいかわかんないってときです。

そして、そういう時は決まって鬱です…。

当然ですよね。こういう深刻な問題を考える時にウキウキしてたら怖いですからね(笑)

みんなに公平に優しくありたい、という欲張りな願いが、無力感となって自分に返ってきます。

行動するには選択と集中が必要なのに、みんなに公平に、では行動できるはずもありません。自分の気づいたところで少しずつ周りの人を助けることしかないってことはわかっているんですが。

気恥ずかしさやめんどくささ、やっぱり自分が一番大事。そういう気持ちがブレーキになっています。

困っている人を見ても、どうすればいいのかわからず見過ごして、家に帰って悔やんで、寝てわすれて、また行動できない。そんな繰り返しばかりで自分の無能さ加減が嫌になります。

そういうのがたまってくるとこういう文章を書いて、自分も苦しんでるんだという言い訳のように、鬱になりたくなるのかもしれません。

それでは、どう生きるか

余裕をもつことが、一番の解決策なのかなと。

心の豊かさ、物の豊かさ、いろんな豊かさをみんなで共有するしかないかなと。

こういう問題は深刻に考えたからって解決策がでるもんでもなくて、ただ行動するしかないんですよね。少しずつ行動できることを増やしていくしかないのかなーって思っています。

なんか今回は息が詰まるような文章になってしまいました。筆もいつも以上におそかったし、あまりいい記事とは言えませんが、こんなのでも自分にとっては大事なもので。ただ、次回はもう少し楽しい話題を書きたいですね。

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