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自殺について思うこと

死ぬ前に行動すべきか。

みなさん死についてどれくらい考えているんでしょうか。自殺の国日本、就活ならぬ終活、安楽死や反出生主義、尊厳死などなど、生き方が様々なように死に対する思いも様々です。生まれ方はどうしたって選べませんが、死に方は自分の考えが反映されるところです。

自殺というのは自ら積極的に死を選びとっていくわけでして、そこに踏み込む前には自分の過去、考え、周りの視線などなど頭の中を駆け巡っているはずです。自殺するというと、やはり世間体が悪いのかはたまた死を忌避する思いからか、生きることから逃げた弱い人、視野が狭く自分を追い込んでしまった人というように思われることが多いようで、死ぬ奴は結局そういうやつだったとか、可哀想にという憐みや、死なないようにどうすればいいかという、生きることを前提にした意見の方が多く見受けます。

もちろん、将来への不安やもうやり直せないという絶望、無力感からの自殺も多くあるのでしょうが、それだけという風に思われてしまうのは、不本意なのではないか。もっと自由に死に対する意見、ひいては生きることについての考えを表明できるようになると、よりお互いを理解しあえるのではないかと思うのです。

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか

死を考える時、自分の人生を終わらせようかと逡巡する瞬間、頭のどこかでこの三つの疑問が浮かんでいるのではないかと思います。自分はいったい今まで何のために生きてきたんだろうか、どうして今の状況にあるんだろうか、この人生に何の意味が在って、この先、生きていくことに意味が在るんだろうか、死んだあとも意識は残るんだろうか。

この3つの疑問、どれも人生を積極的に生きるために必要なものです。どこへ行くのかという将来のビジョンを描くことで今自分がすべきことが明確になります、何者であるか知ることは周りの環境に適応する手がかりです、どこから来たのかという痕跡は生を無駄にするなという訴えです。

逆にこれらを突き詰めて考えて、確かだと思えないとき、生きるという行為は足場を失って、我々は弱く脆く危うい存在になってしまいます。

ぼんやりとした不安

エントロピーが増大し続けるこの宇宙において、個体として形を保っているということは、日々自分を保つための具体的行動が求められているということです。

肉体的にも、免疫系的にもそうですが、それは精神的なものについても同じです。特に現代のような情報社会においてはいろんな立場からの意見や、自分と対立する意見、批判や誹謗中傷などいろんな場面で精神に対する外的刺激にあふれています。

それらをすべて受け入れて飲み込んでいくとそれは一つの方向性を持った精神として保つことができず、決断することができず身動きできなくなっていきます。

一人の人間として生きていくということは、精神としての自立し、信念を持って行動していくということです。これまでの先人もたくさんの困難を乗り越えて今に生をつないでいるわけですが、そこには必ず使命感ややり遂げる熱意にあふれていたはずです。

自分が何者なのかもわからず、何の信念もない、ぼーっと生きてるような人間が抱えている、ぼんやりとした不安こそがエベレストのような高さの困難以上に困難な、死の底なし沼なのです。

行き過ぎた平和主義

平和であることは良いことです。戦争は二度と繰り返してはいけない。これは結果論です。

戦争は利益相反により生まれるものです、子供の喧嘩、民事訴訟、やりがい搾取、税金、市場の原理、恋愛模様、利益相反はいたるところにあふれているため、当然そこには競争と対立があり、物理的な戦争は規制されていても、弁論、法律、形を変えた戦いが今日もあちこちで起こっているものです。

主義を持つということ自体、そこに対立勢力があるからこそ成立しています。信念を持って生きるからには、自分の主義を断固として守り抜かなければなりません。

戦いに敗れた時には、主義とともに潔く死を迎えるか、新しい主義に乗り換えることを迫られるのです。

RUN!

沢山の戦いに敗れたり、強敵に向かい合ったりして、逃げる体力や逃げる場所を失ったとき、我々は自殺に逃げ道を見出すのかもしれません。

体力がないなら、周りからいろんな思想を取り入れたり勉強したりして自分を作っていく。逃げる場所がないとき、逃げれない理由を考えると自分が守ろうとしているものがわかります。

かんたんに乗り越えられるような壁は先人が突破してくれてたりで、今残っているようなものは正面から立ち向かってもうまくいかないような問題です。守りたいものが見つかったら、それが自分の信念なんですから焦らずに、小さな課題を一個ずつこなしていくしかありません。

自殺というものを、むき出しの自分や社会を見つめるチャンスと見るか、ただただ忌避すべきものとして目をつむるか、臭いものにふたをする精神で邁進してきた私たちが次のステージへ進めるかどうかは、実はこういう問題にあるのかなと思ったりして。

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