feedly hatebu line pocket facebook twitter rss github pinterest muku

やりたいことと目指すもの

やりたいことが見つからない日々をお過ごしのわたくしです。
20超えるくらいまではなんとなく情熱のようなものを持っていた気がするのですが、
いつの間にか霧散してました。
そこで、今回はやりたいことと目指すものについて語ってみようかと思います。

僕は正直なところ、基本的に何もやりたくない人間です。
痛みや苦痛を感じないのであれば、飯も食べず、風呂も入らず、遊園地に出かけるなんてもってのほかで、
日がな一日寝てばかりいるような気がします。

でも、実際には飯を食べなきゃ飢えで苦しみますし、お風呂に入らなければだんだん気分が悪くなるし、
適度な運動をしなければ体が窮屈になってきます。
たまには外に出なければ気持ちが鬱々としてきてしまう。
だからしょうがなくではあるのですが、どうせやるならと前向きに毎日生きているわけですね。
どうせやるならやらされてるよりこっちがやってやってんだぞ!という勢いがあったほうが楽しいですからね。

さて、これは毎日生きるための最低限の営みなわけですが、
人生レベルで考えたときには、やはり自分がやりたいことや目指すものがいるのだと思います。
その時その時を楽しめばいいという享楽的な生き方もありだとは思いますが、
根底にめんどくさいという考えがあるような、ずぼらな人間にはやはり目的地がないと楽しみに興じるのも億劫なわけです。

コビー博士の七つの習慣では、まず終わりを描きなさいとあります。
自分の葬式に、どんな人にいてほしいか、どう思われたいかと。
この具体的な、そして本当に最後の最期で何を望むのかというのを考えるのはぶれない人生を歩むためには確かな考えです。
ただし、これができるのは周りの人の幸せを願える人徳のあるいわばエリートのような人ではないのかとも思います。
実際コビー博士はみためも鉄人のような感じがします(笑)

まわりからどう思われるかなんて気にしない、自分勝手に生きてテキトーに死んでいくような人間にはこういうのは
やはりなんとなく響きません。
確かにな、その通りだなとは思いつつ、なんか心に響くものがない。
道徳の授業で素晴らしいビデオを見た後に、なんにも感じるところなく、必死で感想をひねり出してるようなサイコパス野郎には
まあ心に響くものなんてないのかもしれないんですが・・・。

とは言っても僕だってなんにも感じないわけではないんですよね。
例えば、ベルセルクを初めて読んだときは衝撃を受けた記憶があります。
逃れられない運命に、必死で抗い、そしてありえないことをただ淡々と貫き通す。
ああはなりたくないな、と思いつつも憧れるものがあります。

ドラゴン桜のケンタ君のような、今まで誰もが馬鹿にしてきたのに、
自分の力を生かすすべをしって、生き生きと輝きだすような。
鼻を明かしたような、不遇が報われたような、悲しいような嬉しいような、誇らしいような。
なんで今までできなかったんだという口惜しさと、これでもう大丈夫だというちょっと寂しい安堵感があります。
そういうストーリーに僕はなんだか心を惹かれるものがあります。

悲しみをしってなお、堂々と生をまっとうする姿勢に色気を感じるのかもしれません。

強く生きたい。

彼らを突き動かしているものは何なのか。

ガッツは、環境からして逃れられないから戦っているという感じですよね。
夜になればいやがおうにも襲ってくる魑魅魍魎ども。
倒し続けなければくたばるしかない過酷すぎる世界です。
そして自分自身の中にも逃れられない悪夢を持っている。だから戦う。

ケンタの場合は、虫に対する強い興味ですかね。
人間からは疎まれるような虫たち。自由に生き生きとしてほしいという思いや、すごいという
尊敬を抱いているから、虫の生態や仕組みにものすごい好奇心が生まれている気がします。

やらなきゃいけないことと、自分が恐れを感じるほど尊敬しているもの。
身の回りのものに対して、考えてみるといいのかもしれないですね。

やりたいものなんて人によって違うので、論理的にこうすれば見つかるっていうものでも
ないような気がします。
ただ、自分がなにに心を動かされるのかに注目しながら、身の回りのことをもう一度
見直してみようかと思います。

https://www.photo-ac.com/profile/1712669
https://www.pakutaso.com/20190127014post-18775.html

このエントリーをはてなブックマークに追加
« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

スポンサーリンク

最近のコメント

ブログカテゴリ

スポンサーリンク