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なぜ生きる

「なぜ生きる」という本があります。

この本は、「なぜ生きる」という疑問に真っ向から立ち向かった親鸞聖人の考えと生き様をわかりやすく、様々にたとえ話を交えながら教えてくれています。
もちろん、「なぜ生きる」という質問にも答えています。

ただ、ネットの口コミを読んでいると、その語り口のわかりやすさのわりに、生きる意味はわからなかったという感想が多いようです。
はっきりした論理よりも、そうだなぁとみんなが共感できるたとえ話を優先しているからです。
生きる意味というものが、理屈として頭で理解するものではなく、自分の体験・経験として納得しないと意味がないからです。

でも、それはもったいないと僕は思います。
生きる意味がはっきりしてこそ、この疑問に悩むことなく今に集中できるからです。

だから、今回ブログとして記事にしようと思いました。
できるだけ短く、理屈を重視してこの疑問に答えることで、少しでもスッキリと晴れやかな気持ちで生きれる人が増えればいいと思います。

本来一冊の本でも書き足りないような内容を短くするわけなので、わかりにくいかもしれませんが、
そんな時は、原作に触れてみたり、仏教を学んだり、あるいはコメントなどで質問していただければと思います。

結論

回りくどいのは嫌なので、結論を最初に言って、あとから理由を説明していきます。

すべての人にとって生きる目的とは、苦悩の根源を絶ち、この世に生まれた生命を喜び、永遠に幸せに生きれるようになること

もっと短く言えば、

人は永遠の幸せを手に入れる為に生きる。

ということです。

そんなの当たり前じゃん、みんな幸せになるために生きてるなんて。
どうせ死んでしまうのに、幸せになるために努力する意味なんてあるの?
と思うと思います。

ここで大切なのは、ずーーっと幸せに生きることは可能なんです!と言っていることです。
ONE PIECEでいえば、この世のすべてをそこにおいてきた!!ワンピースは実在する!!ってことです。

そして、


ずっと幸せに生きるとは、不自由の中に自在の自由を満喫すること。(無碍の一道)

なんです。

もうすこしかみ砕いて(というか砕けて)いうと、

この世の中は苦しみだらけだけど、そんな中でもできることはいろいろあるんだぜ?

むしろその不自由さを思いっきり楽しもうぜ。

それがずっと明るく楽しく生きる方法だぜ。

ってことです。

前置き

前置きが結論の後に来とるがな、って突っ込みは受け付けません(笑)

ここからはちょっと遠回りに聞こえるかもしれません。
そして、同じようなことを繰り返すことになります。

それはすべてがこの疑問の答えに深く関係していて、切り離せない理屈だからです。

そもそも、この疑問の答えは頭じゃなくて体で理解するものです。

それを半分無理やり納得できそうな理屈にしているから、なんかこいつの論理ガバガバやなと思うかもしれません。

それは承知の上で、読んでほしいです。

なんか論理が飛躍してるなって思ったら補って、そんなん納得できひんって部分があったら、理屈を差替えたり。

とにかく、自分で納得できる、腑に落ちることが一番です。

誰のための疑問ですか?

そもそも「なぜ生きる」は誰のための疑問でしょうか。

すべての人のための疑問ではありません。

こんな疑問全く気にしない人の方が多いです。

先ほどの結論で、すべての人にとって生きる目的は、と言いましたが、それは無自覚かもしれないけどという但し書きがついてます。

そもそも疑問にも思わない人もいるし、こんなこと答えてもなんの役にも立たへんやんって人もいます。

全くその通りです、この疑問に答えたところで何の役にも立ちません。

強いて言えば、この疑問に悩むことがなくなる、ってだけです。

今夢中になれるものがあるから、今が幸せだから、忙しくてそんなの考えてる暇ないわって人には不要な疑問です。

そしてたとえ今が苦しい人であってもこんなことに悩まない人もいます。

こんなこと考えるのばかばかしいって。そんなの考えるだけ無駄じゃんって。

じゃあ、これは誰のための疑問でしょうか?

それは、これが気になってしまった人、迷ってしまった人のための疑問です。

今があまりにも辛く苦しい人、親とうまくいかず憎しみが抑えられない人、自信がなくこんな自分に生きる価値があるのかと悩んでいる人。

こういう辛い境遇の人だけではありません、幸せに生きたいし周りを幸せにしたいけど何が正しいのかわからない人、昔は熱中してたものがあったのに燃え尽きてしまった人、何不自由ないけれどただこの世が味気なく感じてしまっている人、世間的には成功しているけどなぜかむなしい人。

人生がうまくいっていようが、いなかろうが、頭がよかろうが悪かろうが関係ありません。

「なぜ生きるか」が気になるかならないか、ただそれだけの違いです。

なぜ疑問に思うの?

じゃあなぜ、気になる人は気になるのか。

それは、人間に理屈で考えて行動する性質があるからです。

人は、今までの経験からこういう時はこう、ああいうときはああなる、という風に理屈を導き出しています。

そして理屈を積み重ねて考えています。

例えば、自身の体験から、「目的もなく行動すると大抵何も得られない」という理屈と「何も得られない行動をするのはつらい」という理屈を得ていたとします。

この人が、もしも生きる目的って何だろうと考えたとき、「生きる目的がないならば生きていても何も得られない、そしてそれはつらいことだ」という結論を出すと思います。

そしてこの人は生きる目的に悩まされることになるでしょう。結論を出せない限り、この人にとって生きることはただ辛いことになるからです。

今の例は、とてつもなく単純化しましたが、人間はもっとたくさんの経験とおびただしい理屈から直感的に無意識のうちに結論を導いてしまいます

自分でも気づかないうちに、生きることが何の意味もないどころか、損してると直感してしまい、

「なぜ生きるか」がどうしても頭から離れないという人がでてきてしまうのです。

そうなると、この疑問にずっと迷ったまま自信なく生きていくか、胸の奥に押し殺してなぜだか知らないうちにむなしさを感じて生きていくことになってしまいます。

何のために答えるの?

この疑問に答えることで、私たちは何を得るのでしょうか。

それは、迷いを捨てた心です。少なくとも生きる目的に迷わない心です。

迷っている人は、弱く、そして苦しいのです。

迷っていると、行動も遅くなり、そして呼吸も浅く乱れ、無意味に体力を消耗し、生理的に苦しみを感じます。

それは幸せから遠ざかる行為です。

それでも私たちは迷うことがあります。より幸せに近づく行動を選びたいからです。

幸せを求める心が、皮肉にも幸せを遠ざける迷いを生むのです。

これは私たちが理性という諸刃の剣を持ったからです。

科学の発展は人にたくさんの恩恵を生み出した一方で、公害問題や労働問題、経済の問題などたくさんの負の側面も生み出しました。

新しい能力を得たときに、必ずしもいい面ばかりが生じません。

悪い面はいずれ克服していかなければなりませんが、理性の生み出したこの負の側面は数千年経っても完全には克服できていない難問というだけです。

理性の生み出した迷いという現象を克服すれば、あるいは少なくともこの「なぜ生きるか」という疑問については、生きる目的さえわかってしまえば、大抵の人は迷いを捨てて生きれると思います。

生きる目的が、必ず達成できる、あるいは近づくことができるゴールであり、そして絶対にお得なものだと納得できれば、積極的に今を生きれるはずです。

生きる目的とは?

ではようやく生きる目的について考えていきましょう。

なんで苦しくても生きなきゃいけないのか、死んだ方が楽じゃないか。

生きていても虚しいだけ、ただ死ぬ苦痛を逃れるために惰性で生きているだけだ。

そういう思いに対して答えなくてはいけません。

生きる目的と聞かれてよくありがちな、

そんなん、生きるために生きてるんだよ!というのは全く何も答えていませんし。

一度きりの人生だからこそ大事に生きるんだよ?というのは、限定品につられるような人以外には意味がありません。

お金を稼ぐことができれば幸せになれる!お金があってもすべてがかなうわけではありませんし、いつ失うかわかりません。何かを手に入れれば万事良いとはなりません。権力、人脈なども同じです。

たくさん勉強して頭がよくなれば、有名になれば、幸せになれるでしょうか?自殺していった文豪、著名人は一人二人ではありません。

ただ確かに言える、誰にとってもお得な目的。それは幸せになることです。

少なくとも、何もない虚しいよりは幸せの方がいい、苦しいよりは幸せの方がいいとみんな思うと思います。

そして、それは一時的なまやかしの幸せではなく、ずーっと続く幸せじゃないと人はむなしさを感じます。

どうせこのゴールに到達してもまた失うなら意味ないんだって。

だから、永遠に幸せに生きれることが、生きる目的なのです。

この永遠に幸せに生きれることがわかったとき、我々はこの世に生まれたことを喜び、命の尊さを知るはずです。

だって生まれてこなければ何もない、ただ虚しいだけだったのに、生まれてきたおかげで幸せになれるのだから。

そして、幸せになるということは、それは苦悩の根源である、迷いと、満たされない強欲と、空回りな憎悪をなくすということです。

こうして、冒頭の結論で申し上げたように、

すべての人にとって生きる目的とは、苦悩の根源を絶ち、この世に生まれた生命を喜び、永遠に幸せに生きれるようになること。

これが生きる目的としてふさわしいことがわかると思います。

生きる手段とは?

もちろん、これだけで納得はできません。

目的としてふさわしいことはわかりましたが、実際にそれが実現可能でなければただの絵に描いた餅です。

目的があれば、それを実現するための手段が必要です。

つまり、「生きる目的」(=永遠の幸せ)を実現するための方法(=「生きる手段」)が必要です。

逆に、「生きる手段」が確かに存在すれば、「生きる目的」は実現できるものであり、目指すべき価値のあるものだと納得するほかありません。

そして個人的にはここが一番難しい部分です。

なぜなら、手段は無数にあるということ、常に同じ手段というわけじゃない、そして人それぞれ異なるからです。

だからここは自分の経験や知恵、学問から自分が信じやすい形で納得することが一番大事です。

  • 「不自由な中に自在の自由を満喫する」ことができる、そしてそれは永遠の幸せを実現する

このことを納得するためのヒントをいくつか上げてみます。

まず、人は不自由な中でも楽しめ、幸せを感じられます。

原作においては、いつも遠くて暗い帰り道が、好きな人と一緒だとむしろ楽しく感じることがたとえ話として挙げられています。

そして不自由な中でも自由があるということ。

カオス理論ではバタフライ効果が知られていて、この世界はほんのちょっとの違いで大きく結果が変わります。

これは、たとえいろんなしがらみがあったとしても、自分の意志がほんの僅か変わっただけで、結果が大きく変わる可能性がある、自由があることを意味します。

むしろ不自由な中に自由を感じるときにこそ、幸せを得られるということ。

チクセントミハイさんのフロー理論で知られているように、人はフロー状態(没入状態)に入ることで幸せを感じます。

目的がはっきりしていて、迅速で適切なフィードバックがあり、課題と能力が釣り合っている時にフロー状態に入る可能性があるそうです。

これはつまり、課題を適切に設定すれば、人はそこに没頭できるということです。

世の中はとにかく不自由なことが多いです。

受験に、ノルマに、親の介護問題、隣人とのトラブルなど、生きているだけで困難にぶち当たります。

でもどんな困難にあっていたとしても、私たちはたった一つの行動しかできないということはありません

自分が発する言葉、状況のとらえ方、呼吸の仕方ひとつとってもおびただしい選択肢があり、常に私たちはその選択肢から一つを選び取っています。

これが不自由の中にも自由があるということです。

人は生き物ですから、生きる欲求を持っています。

この無数の選択肢の中から、どれが将来のためになるのか、どうしたらもっと楽しくなるか、夢中になれるのかを求め選ぶ力があるということです。

自由な選択肢に気づき、そこから良い行動を選び、実行する。

このプロセスに、苦しみや迷いを感じる隙間はありません。

悩んでしまっている人は、このプロセスが滞ってしまっているということです。

ただこれは思考の癖であって、習慣によって変えることができると思いませんか?

そこに頭の良さは関係ありません。

目の前の今ここに集中し、没頭することができます。

必要なのは、生きていること、そして物事に気づき、想像する力だけです。

これで、「不自由な中に自在の自由を満喫する」ことが実現できるのだと納得できたでしょうか。

少なくとも、当てのない道ではなく着実にゴールに近づいていけるんだと思えたでしょうか。

目的と手段を間違えないように

「生きる手段」というのは、普段使う言葉で言えば、趣味・生きがい・目標のことです。

生きる目的は、自分の趣味や生きがいに打ち込むことだ。

という方もいます。これは半分正解で、半分間違いです。

趣味に打ち込むことは、幸せに生きるという目的を達成するために必要なプロセスで手段という意味では正解です。

でも趣味に打ち込むことは生きる目的ではありません。

生きる目的は、「苦悩の根源を絶ち、この世に生まれた生命を喜び、永遠に幸せに生きれるようになること」です。

なぜ趣味が目的にならないのか。それは趣味が能力を必要とするからです。

人は必ず老います。たとえ若くても、一つのことでは飽きてしまうこともあるし、環境がかわればいつでも同じことができるとは限りません。

私たちができることは、自分ができることに集中することです。

目的が達成できないものになったとき、その目的は無意味、無価値なものになります。

でも生きている以上は何かしらの目的が必要です。

だから、目的と手段を混同せずはっきりとわけて認識することが、

生きる目的を納得するためには大事な認識です。

とはいっても、死んだら上がりじゃないの?

ここまでで、生きる目的の説明は終わりです。

ここは蛇足ですが、自分では納得を強めるために有用な認識だと思うので書いておきます。

理屈ではなく、むしろファンタジーですが、仏教でいう輪廻に近い話だと思います。

今までの話を読んで、生きる方が得だと納得したとしても、それでも、死んで終わらせたいと思う人もいるかもしれません。

でも、死んだからと言って本当にそれで終わりなんでしょうか?

毎日私たちは、眠る際に明確な意識は途切れています。本当に昨日の私と今日の私は同じ人なんでしょうか?

スワンプマンという有名な思考実験がありますが、落雷に打たれた私と、新しくできた私は本当に別人と言えるでしょうか?

仏教で、諸法無我という言葉があるように、私というのは不変の実態があるものではないのではないか。

関係の中でこそ存在している私たちです。

あなたと同じ考えを持つ人が、この先生まれてくるのだとしたら、それは完全に私とは無関係だと言い切れるでしょうか?

そう考えると、死によって終わらせたつもりでも、実は逃げ切れていなかったとうことがあるかもしれません。

あなた自身が幸せになることが、たくさんの人の幸せであるかもしれません。

実際にどうなのかは、断言できないことですが、死に急ぐのは早計と言えるでしょう。

後書き

生きる目的とは、と検索したときに出てくるのは、

なんだかふわっとした話だったり。

なんかそれっぽいことは言っているけど、肝心の質問の答えは続きをご覧くださいと言って誘導してきたり、

生きる目的、意味なんかないんだから考えてもしょうがないよ

って結局なんだか調べてももやっとするような情報が多い気がします。

生きる目的を気にしないで生きていけるのであればそれに越したことはないですが、

気になってしまった以上は、白黒はっきりつけて、すっきりと供養してしまった方がいいですよね。

この記事がそのお役に立てれば幸いです。

今自分ができることに集中し、目の前のことに没頭する。

それが生きる目的を達成する手段です。

ブルース・リーの有名なセリフがあります。

「考えるな、感じろ!」(Don’t THINK, FEEEEELL!!)

人間は考える葦である、確かに考えることで発展してきましたが、頭でっかちになれということではありません。

私たちは、理性ある存在である以前に、生きています。

生きるということは、今ここでしかできないことです。

私たちができることは、今ここで生を全うするだけです。

参考資料

なぜ生きる 明橋 大二
「なぜ生きる」|感想・レビュー-読書メーター
ミハイ・チクセントミハイの「フロー理論」、フロー状態を体験してモチベーションをコントロールしよう|識学総研
ブッダは「生」の謎を解く|日本テーラワーダ仏教協会

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