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複雑系と理解と成果

自己啓発本を読むのが趣味な、そしてそれを実践する気はさらさらない意識他界系のむくゆうです(*^^)v

久々にブログを書きますが、というのが枕詞になってしまっている困った僕ですが、情報社会で発信力が求められる現代。自己啓発本でもアウトプットたくさんしよう、インプットよりアウトプットだといったように喧伝されています。

そこまでおすすめされているのならばと、久々に筆をとる、もといキーボードをたたこうと思ったわけですが、気まぐれにしか書いていないので、いったい何のためにアウトプットしているんだろうと血迷ったことが気になってしょうがないので、今回は僕自身が何を成果としたいのか見つめなおしてみました。

理解したいけど理解できない葛藤

僕がブログを書いている大きな動機は、世の中を物事の仕組みを理解したいという欲求です。理解して必ずしもなにか現実を改善できるとは限らないけれど、いままで自分の中にはなかった仕組みが内面化されること自体に、新鮮な気持ちや成長を実感できる楽しみがあります。

未解明なあれこれ

理解していないものを理解するために、一番手っ取り早いのは、他の人が解明してくれているものを調べるということです。学校で学ぶ学問はこういったものの塊です。

理解すること自体の困難さはあるかもしれませんが、答えがそこにあるという明確さ、どうすればいいのかわかっているという安心感があります。

一方、現実にはちゃんと説明書きのある現象の方が少ないものです。僕には重要に思えることであっても、一般にはどうでもいいとみなされること、まだ誰も理解できていないこと、個人的な問題などなど、いくら情報社会とは言えども、自分が本当に理解したいことは意外なほどに答えが落ちていることはなく、最後には自分しか頼れないということを思い知らされます。

ただ未だ解明できていない諸問題は、タスク管理しながら一つ一つの問題に面と向かっていくことができます。

複雑系という問題児

複雑系は、作用が複雑に絡み合っているようなシステムのことですが(知らんけど)、そこには要素に分解した理解はできないような膨大な計算量や、要素を単純に統合して論理的に理解することを阻むカオスさがあります。本質的に、計算や論理で表現できないので、当然のように仕組みを内面化できないようなものになります。

問題は、世の中の大抵の物事は複雑系、あるいは複雑系を含んでいるということです。

理解できないものの方が圧倒的に多い。理解することが楽しみである自分にとってはつらい世の中です。

理解の仕方を変えるか、理解ではなく成果を求める、今までとは違うことに楽しみを見つけなければなりません。

成果ってなんだ

自己啓発本ではよく、目標設定をしなさい、それに向かってPDCAを回しなさい、こう教えられますが、目標も夢もまったくない自分にはそれがなかなか難しい。

結果を得る達成感があることは理解できないわけではないですが、やはりそのプロセス自体に楽しみを見出さないと取り組めないのが鳥頭な僕なんです。

貢献したいわけじゃない、わけじゃないけど

情報を発信すると他の人の役に立つことが期待されますし、実際無駄な情報よりは人の為になったほうが発信する側としてもうれしいというのは本当にその通りだと思います。

だけど、人にどれだけ貢献できるかということを成果としてもそれがモチベーションにはなってくれない。

薄情なにんげんなんですあたし( ;∀;)

月間何PVだとか、どれくらい収益性があるかとか、そういう成果もなんだかしっくりこない。それは仕事でやることで、趣味でやることではないなと思うわけです。

新しい刺激

そもそもなぜ、仕組みを理解することが楽しいのか。解明することにワクワクするのか。それは、仕組みを理解することで、世の中の捉え方が180度変わる瞬間がある、仕組みを特化得てみることで新しい世界を作れる。アハ体験の連鎖が一番楽しい。

例えばiPhoneが世界中の人々の生活を驚くほど変えてしまったように、直観に反する量子論がミクロの世界を支えていたという衝撃だったり。

複雑系の再帰

複雑系をそのまま理解することはできない。でも幸いにも現代にはコンピュータという計算装置があるわけで。モデル化してシミュレーションすることで、理解ではなく構成すること。

そして、ことなるルールから作り上げられる世界を接続すること。

納得と裏切り、そして探求

或る複雑系と別の複雑系を比べてみた時に、そこにアナロジーを見出す。仮説と検証、そしてまた差異を見出す。アナロジーの世界で、ある世界を別の世界から説明してみる。そうすることで、見えないものが浮かび上がってくることがある。それをより浮かび上がらせることが新しい現実を作ることです。

ルールを作る、モデルをつくることが世界を構成する。別の世界のものを翻訳してみる。つまり置き換えてみる。世界全体を塊としてとらえる部品化と、機能を仕組みに分解するシステム化。

複雑系を理解しようともがく人間もまた複雑系ですから、複雑系を理解するということは、ただ、複雑系の接続に過ぎないのではないか。自然な拡張としての無限、抽象化による新しい世界層の構成、たとえ話による新しい現象の創発。

取り込む前にはまず捨てる

数学はいろんなものを捨ててきました。数字に置き換えてしまった時点で、対象自体のその他の性質を捨て去ります。虚数の発明は、現実のよりどころ持つ、という意味を捨て去りました。群論は対象を捨て去り作用のみを取り出しました。

いろんなものを捨て去ったからこそ、あらゆるものが繋がりあえる。無の自在さというのは老子が説いていることでもありますが、断捨離においても、まずは捨てることから始まります。

命題の真偽ではなく、世界を構築するということただそれだけに目を向ければ、ナンセンスなものはなくなります。プロセス自体が興味の対象であり世界です。

一貫性を持つこと

新しい世界を構築すること。現実に存在するのはその世界を実現するための基盤です。

いくら新しい世界をたくさん作っていけばいいとはいっても、ただでたらめにつくるよりは、やはり基盤を整備してあげること、ルーティンの整理、そういったノウハウや文化、環境を作り維持することも必要です。

分類することに熱中するのではないけれど、世界を取り出しやすく整理し流れを作り出すことが必要です。

この流れこそが理解であり、作り出される世界が成果、そしてそれらが統合される主体としての複雑系を体現できる気がしています。

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